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「黒海安全保障法」

From:ジム・リカーズ

ジム・リカーズは、ウォール街で40年の経験を持つ金融・経済の専門家。地政学に精通している彼は、地理的な条件から、軍事や外交、経済を分析することを得意とする。実際、米国における彼への信頼は非常に厚く、CNBC、ブルームバーグ、ウォール・ストリート・ジャーナルといった世界的なメディアに数多く出演し、政治問題や経済の動向について提言を求められてきた。さらに彼は、ホワイトハウス、CIA、国防総省の元顧問である。2008年にはリーマンショックの発生を予測し、CIAに対して助言を行っていた。彼のもう一つの肩書きは、5冊のベストセラー本の著者。その著書には『The New Case for Gold』(邦題:いますぐ金を買いなさい)や『The Death of Money』(邦題:ドル消滅)がある。政府機関が信頼を置いてきた彼の予測や提言は、きっとあなたの金融知識の向上、ひいては資産形成にお役立ていただけるだろう。

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ウクライナでの軍事侵攻が激化するリスクについて、これまでもたびたび書いてきた。もちろん、戦況がエスカレートすることは珍しくない。

第二次世界大戦は、歩兵、艦船、航空機、大砲などの普通兵器使用されたが、やがてドイツのドレスデンのような大都市への空爆が行われ、ヨーロッパの東部戦線は全滅 。数百万人の死者を出した。さらには広島と長崎への原爆投下へとエスカレートしたのだ。

ウクライナでの戦争も同様だ。だがその詳細を知る米国人はほとんどいない。

軍事侵攻は、ロシアがウクライナで行った限定的な特別軍事作戦で始まった。プーチン大統領がこの作戦を実行した目的は、ウクライナの征服ではなく、交渉のテーブルに着かせるためだったと言える。
プーチン大統領は、ウクライナにNATOへの加盟計画を断念させ、中立を誓わせたかったのだ。

プーチン大統領は、ウクライナを奪還してロシア連邦の一部にしてしまおうという単なる戦争屋だと思っている人が多い。だがそれは、あることを知らないからだ:

ロシアの指導者が誰であろうと、いつの時代でも、ウクライナのNATO加盟は絶対に容認できないものとされていた。プーチン大統領を軽蔑するようなロシアの 『リベラル派 』でさえ、ウクライナがNATOに加盟すべきでないという点で同意している。ウクライナのNATO加盟は、ロシアの心臓部に直接ナイフを突きつけるようなものだとみなされているのだ。

大げさだと思う人もいるだろうが、ロシアの歴史をみれば、同国が侵略に対して脆弱であることが証明されている。

重要なのは、プーチン大統領に限らず、ロシアの指導者なら誰でもウクライナのNATO加盟に強く反対するだろうということだ。


出所:BBCニュース

事実上のNATO加盟国

実は、NATOはウクライナに正式な加盟を打診していない。

これを知ると、プーチン大統領が侵攻に踏み切る根拠が薄れる。ウクライナ奪還というプーチン大統領の真の野望を隠すための口実に過ぎないとも言われている。

NATOがウクライナに正式加盟を打診していないのは事実だが、他にも複雑な経緯がある。

事実、NATOは何年も前からウクライナ軍に武器を与え訓練を行ってきた。合同演習も行っていた。結果、ウクライナは実質的にNATOの一員になりつつあったのだ。

プーチン大統領はこの流れに抗議し、ロシアが武力行使に出る可能性を忠告したが、NATOは(実際には米国)知らないふりをした。

プーチン大統領は指を咥えてウクライナがNATOの正式メンバーになるのを見届けるわけにはいかなかった。その頃には、ウクライナの軍事力は強大となり、ロシアにとって明らかな脅威となっていただろう。

2022年2月、プーチン大統領は先手を打った。

このような指摘をすると、私をプーチンの味方だと非難する人も多いだろうが、私は単に彼の立場に立って考えてみただけだ。どんな優れたアナリストでも、たとえそれが間違っていると思っても、相手の立場を理解しなければならない。

ロシアの侵攻を非難するだけでなく、同時に理解することも可能だ。

西側諸国がロシアの安全保障上の懸念を傲慢に否定するのではなく、もっと真剣に受け止めていれば、この一連の惨事は避けられた可能性が高い。


出所:ロイター通信

漁夫の利

繰り返すが、軍事侵攻はプーチン大統領がウクライナを交渉のテーブルに着かせるために行ったと捉えることができる。ロシアはわずか約19万人の兵力で侵攻を開始。ヨーロッパで2番目の規模を誇るウクライナ軍を打ち破り、国土を占領するには足りない兵力であった。そうするつもりなら、もっと大規模な軍隊を準備したはずだ。

だが、交渉のテーブルに付かせるという目的において、この計画は成功していた。2月の侵攻からわずか1カ月強がすぎた2022年4月、イスタンブールで行われた会合で、ウクライナはロシアとの交渉に合意。会合の内容は正確にわからないが、当時の資料によればウクライナ側は中立を受け入れ、NATO加盟計画を放棄する意思を示したようだ。

しかし、そこに元英国首相ボリス・ジョンソン氏が現れ(米国に後押しされたのは明らかだが)、交渉を打ち切るようウクライナ側を説得。彼は、ロシアと戦うために必要なものすべてNATOが提供すると約束した。あらゆる最新兵器や、情報、監視、偵察(ISR)システムだ。

これが意味するのは、ヨーロッパで2番目に強力な軍隊とNATOの最先端の電子資産の強力な共同体ができたということだ。ウクライナはこの申し出に応じた。その後最初の戦場でウクライナが多くの成功を収めたことは当然だろう。

ここでもっと重要なのは、この1年半の間にウクライナで起きた死と破壊の90%以上は、昨年4月に行われた交渉がロシアとウクライナの2国間で継続されていれば避けられた可能性が高いということだ。

しかし、それは西側諸国の思惑とは異なっていた。彼らは、ウクライナを利用しロシアを長期的な流血戦に引きずり込むことで、弱体化させたかったのだ。その過程で大勢のウクライナ人が犠牲になろうと構わなかった

今もそれは変わらない。


出所:Getty Images

どちらが先に弱気を見せるか

戦争は今や、ヨーロッパにおいて第二次世界大戦以来最大かつ最も過酷な陸上戦争へとエスカレートしている。

戦火を助長するのは米国やNATOが提供する最新兵器の数々だ。パトリオット対空砲台、HIMARS移動式精密ミサイル発射装置、無人偵察機、レオパルド戦車、チャレンジャー戦車、ブラッドレー戦闘車、ストームシャドウ巡航ミサイルなどだ。

ロシアはこれに対し、ウクライナに駐留する兵力をおそらく50万人(正確な数は非公開)に増員。さらにGPS妨害装置、敵の防空ミサイルを打ち負かすことが可能な極超音速ミサイル、ドローン、大量の地雷、S-400対空ミサイルなどを用いて対抗している。

ウクライナの戦況が危険であるのは、戦いが激化しているからだけではない。その危険性とは、ロシアもNATOも核保有国であることだ。誰かがこれ以上の激化を止めなくてはならない。さもなければ最終的に米国とロシアの一騎打ちになるだろう。


出所:Getty Images


この戦いの終わりは見えていない。

米国はBlack Sea Security Act. (黒海安全保障法)という新たな条約を採択しようとしている。

地図を見ると、黒海はトルコ、ブルガリア、ルーマニア、ウクライナ、ロシア、グルジアに囲まれている。戦場はロシアとウクライナ。グルジアはロシアの支配下にある。トルコ、ルーマニア、ブルガリアはすべてNATO加盟国である。

すべてのNATO加盟国が新たな黒海条約の内容を採用するとは限らない。しかし、米国が条約を採用すれば、黒海を舞台にしたNATO対ロシアの対決が仕掛けられる。

そうなれば、例えばルーマニアの港とNATOの艦船を使って、航行の自由という名目で黒海のロシア海軍艦船を攻撃できてしまう可能性がある。もちろん、真の目的はボスポラス海峡と黒海を経由してウクライナへの武器輸送を促進することだ。

この条約はウクライナをめぐる米ロ間の対立の悪化、最終的には核戦争へと近づく一歩となるだろう。

ロシア側は睨みを効かせている。

我々も引き続き注視する必要がある。

〜編集部より〜